「お洒落だね♪」は誉め言葉じゃない!?言葉の裏に隠された真実とは
今回は誰しもが一度は「言った」「言われた」事があるかもしれないこの言葉の本質に迫っていきたいと思う。
さあ、突然ですが問題!デデン
「この中でお洒落だなと思うのは何番?」
(男性版)
(女性版)
絶妙な加減で選んだので、意見が割れたと思う。
(男女で2つとも番号を決めよう!)
お洒落にもいくつか種類や系統があって、
他にも、もっともっと色々な種類があるが、見る人によっちゃどれもお洒落かもしれないし、どれもお洒落じゃないと思う人もいるだろうが、この3枚の画像の下に行くほど親しみやすいファッションと言える。
それじゃあ「お洒落とは何か」を考えてみよう。
一言でいうなら答えはない。
お洒落とは相対的な判断によるものなので、見る人によって変わる。「愛とは何か」「人生とは何か」とかと同じような質問で考えれば考えるほどドツボにはまる。
しかし、それではここで話が終わってしまうので、お洒落だと思う瞬間を考えてみると
- サイズ感が良い
- 色使いが上手い
- デザインが凝った服を着ている
- 個性的
- 流行を取り入れている
- 全体のバランスがいい
- 似合っている
皆そろぞれの基準があると思うが大体こんな感じ。
「個性的」についてはポジティブな印象だけじゃないかもしれないが、それ以外は殆どポジティブな印象だ。
しかし、実際に「お洒落だね♪」と言う瞬間について考えてみると、思う瞬間とは別の話になる。
ケース1
特になんとも思っていないが、挨拶代わり。
ケース2
別にお洒落だと思ってはいないが、いつもと違う格好をしていた。
ケース3
個性的な恰好の初対面の人を見て。
ケース4
人物そのものを崇拝している。
ケース5
素直にお洒落だと思ったので。
更に考えていくと、親しい間柄になればなるほどいちいち「お洒落だね」なんて言わなくなるし、女性の場合「可愛い」と同じで言葉そのものにあまり意味を持たない。
本当に誉める場合は、「お洒落だね」ではなく「そのコートお洒落だね」などもう少し細かく言うだろう。
しかし、それでもそのコートを誉めているのであって、コートを着ている本人を誉めているわけではなく、本当に本人を誉めたいなら「そのコート良く似合ってるね」というだろう。
つまり、素直にお洒落と思った時に「お洒落だね」という場合(本音)のみ、誉めている事になり、それ以外のケース1~4はただの建て前か意味のない言葉である。
そして、お洒落だからと言って好きかといえば、また話はべつになってくる。
ここでもう一度初めの6人の写真に戻って好きなファッションの番号を選びなおしてほしい。殆どの人が最初に選んだ番号とは変わってくるのではないだろうか。(特に異性の番号)
変わらなかった人は、お洒落=好きって事であんまり「サイズ感」とか「色使い」とか服装に関する事は、深く考えなかった人だろう。
こういう人で素直に思ったことを口にする人の場合は完全に誉めてるが、殆どの人が「お洒落だね」というのは、単純に聞こえのいいフレーズだからお世辞や建前で使う。
要するに、本当にその人物の服装を誉めたいなら、人によって定義の異なる抽象的な「お洒落」などと言う言葉は使わず、もっと具体的に「○○君(ちゃん)のジャケット○○君(ちゃん)に良く似合っててカッコいいね(可愛いね)」とか言ってくれるはずだ!!
因みに、好きなファッションの番号は「男性なら女性は4番」「女性なら男性は4番」を選んだでしょ?
「これがメンタリズムです。」 違ったらゴメン(笑)
ではこの辺で